発達特性の専門的支援

インタビュー

彼女の中に生き続ける「小さな私」。ママ友ドクター誕生のきっかけと、本当のママ友になるまで Interview #012

書店でTさんと佑美先生。『発達特性に悩んだらはじめに読む本』を持って

「ママ友ドクター」誕生のきっかけの一つは、西村佑美先生が大学病院の発達専門外来を担当していた時のある出会いでした。折に触れて語っているエピソードなので、多くの方がご存じかと思います。では、彼女の側から佑美先生はどのように見えていたのでしょうか。Tさんご自身に思いを聞きました。

「この記事の女性はもしかして私?」DMを送り再会

――TさんのことはVARYメンバーの間でもよく知られています。佑美先生が大学病院の発達専門外来を担当していた時、「乳がんが再発して余命宣告を受けた。子どもたちが成人するまで見届けられない」と告げたそうですね。佑美先生は同じママとして本当はもっと寄り添いたかったけれど、医師という立場からそれができなかったもどかしさをきっかけに、ママ友ドクターになったと話していました。

(Tさん)おととし、Yahoo!ニュースに掲載された佑美先生の記事を見て、この女性の話は私のような気がしたんです。長男に聞いたら、InstagramのDMを送ればいいんだよって教えてくれて。でも「これって私ですよね」とは恥ずかしくて書けず、「お元気ですか、記事を読みました」と送ったと思います。返事が来た時はうれしかったですよ。もし違ってたら? と思っていましたから。

2026年春、レストランで食事する佑美先生とTさん

――佑美先生はTさんから連絡が来たことをとても喜んでいて、VARYでも報告してくれました。余命宣告から5年経った年だったんですよね。病気がわかったのはいつごろでしたか?

(Tさん)長男が年中のころ、次男は2歳でした。彼らの人生のほとんど、私は闘病中なんですね。子どもたちをかわいいと思って楽しく育児をするようなベクトルではなかったんです。だから子どもたちの発達までなかなか気が回りませんでした。残される2人の息子たちにどうしてあげたらいいのかを常に考えて、それに向けて環境を整えようと注力してきました。自立できるように、生活に困らないように、その個性が社会でもなじむように。

そうしたことから、長男はアメリカの高校に進学しました。私の母校です。おしゃべり好きな長男には、自分の意見を主張することがよしとされるアメリカの方が合っていると思いました。私の病気のこともざっくばらんに周りに相談できるようなんですね。日本はみんなが察して見えない気遣いをしてくれる文化ですが、おそらくそれだけではなかなか乗り越えるのが難しいと思うんですね。だから助け合っていける環境があってよかったです。

今回はこの薬があって乗り越えたけど、もう次は効かないかもしれない。半年後は、来年は。余命宣告は延びただけで寛解したわけじゃないので、そうやって「終活」を繰り返すのも、毎回追い込まれて心がかき乱されるものです。子どもたちもつらいと思うので、あまりくわしくは話してはきませんでした。私がしおらしくないというか、「病人らしい」感じでもないので、長男が私のことを「よく働く執事みたい」と言ったこともあります(笑)中学生の次男は多分、彼の中でママは勉強しろっていつも怒っていたという思い出になるんじゃないかっていうぐらいなんですけどね。

――連絡を機に再会し、食事をしたり、佑美先生の長男さんとTさんの次男さんで一緒に遊びに出かけるような関係になったと聞きました。あれから、Tさんと本当の「ママ友」になれた喜びを佑美先生は語っています。

(Tさん)「ママ友ドクター」となったきっかけになれたというのは本当にうれしかったです。子ども同士もニッチな趣味で仲良く買い物に出かけたりするようになりました。

私はもともと小児歯科医で、大学病院で働いていました。高校の時にアメリカ留学をし、その後に日本の大学で美術史を専攻した後、歯学部に入り直しました。歯って造形なんですよね。だから自分の美的感覚を活かせると思いました。大きな結果を残そうと思って仕事をしていたわけではありませんが、小さなことが変わっていったら嬉しいな、という思いはありました。病気で仕事を辞めることになりましたが、そんな中で佑美先生の活動を知った時に、小さな変化を起こすようなことができたような、ある意味で夢がかなったような気がしたんです。

活躍する彼女にもらった大きな勇気。鮮やかな南国の花が持つメッセージ

Tさんが佑美先生へ送った花束。力強いオレンジ色が見る人の視線を引きつけます

――佑美先生にお花を贈ったんですよね。フラワーアーティストの東信さんが、読者と大切な誰かの「物語」を花束で表現するオンライン記事の企画で依頼したものでした。「活躍する彼女の中に、小さな私が生き続けていけることに、大きな勇気をもらいました」という言葉が印象的でした。

(Tさん)グズマニアやストレリチア(極楽鳥花)など鮮やかな南国の花でしたね。佑美先生のところには突然届いたのでびっくりしたようでした。フラワーアーティストの東信さんの「南国のお花ならではの命の強さを感じてもらえれば」といったメッセージには感動しました。

――抗がん剤をやめて、緩和ケア病棟に移りました。お子さんたちの様子はいかがですか。

(Tさん)日々の日常も大事だから学校や塾などは行っていて、でも休める習い事は休んだり、夜に病室に来るんですが、全然気にしていない風です。でも、次男は毎日会う度に「ママ痩せたね」と言う。本当は水が溜まっていてそんなことはないんですけれども、それが彼の精一杯の気持ちなのかなと思って。いろいろ思いはあるようですが、でも男の子たちなので不器用ですね。

いろいろ欲はありますよ。でもなんか、幸せであればいいのかなって、それに尽きるかな。本当に簡単なことだけれども、最後に思ったことかなという感じですね。

――お子さんたちに、ご自身の存在が大きくなりすぎないようにと話していたこともありましたね。

(Tさん)その理由に、私が10代の時に祖母を看取った経験があります。4人きょうだいの長女だった私にとって、おばあちゃんは一番の理解者でした。週末は祖母の家に入り浸っていましたね。アメリカの高校を卒業し、そのままニューヨークの美大に進学予定でしたが、「ギャップイヤー」(進学を1年延期して経験を積む期間)を利用しようと思って祖母の看護をしに帰国しました。その年の秋に祖母が亡くなり、ものすごく落ち込んでしまって、とても一人でアメリカに帰る気持ちになれなかった。それで日本で進学したんです。

私の人生は終わるけれど、彼らの人生が終わるわけではない。それをまだ中高生の彼らに理解してもらうのは難しいですよね。でもやっぱり日常生活を送ってほしいと思います。いわゆるセレモニー的なけじめをつけてお別れをして、また戻る場所があってほしい。アメリカの高校に通う長男が戻らなきゃいけない場所があるということが、私にとってはすごく彼が守られるような気がしたんです。そして次男とパパは、二人でマイペースにやっていくんじゃないかって思っています。

少し肩の力を抜いて、自分らしくいられる時間を大事に

 ――Tさんはいつも「普通」にとらわれない考え方をするなと思っていました。子どもの特性に関しても、人はみな一人一人違って当たり前という考えですよね。

私には足の不自由なおばがいるんですね。母方のおばなんですが、幼少期にポリオに感染して後遺症により車いすを使用しています。昔は後天的なものであっても「障害者」にひとくくりにされて、結婚が不利になるような時代でした。母は5人姉妹でしたが、障害があってもなくても私にとってみんな同じおばでした。最重度の自閉症を持つ佑美先生のお姉さんの話のように、私が障害を特に何とも思っていないのはそんな理由が一番大きいと思います。おばはおもしろい人で、私の子どもたちも車いすを押すのがプロ級なんですよ。アメリカ留学経験も、人はみな違うものだとという考えのもとになっていると思います。

Tさんの病室に飾ってあるピーナッツのぬいぐるみ。妹さんから“You’re nuts”というスラングを言われながら渡されたそう。Tさん自身も周囲も常にユーモアたっぷり

――Tさん、子育てって何でしょうね。

(Tさん)本当に何でしょうね(笑)でも子どもは借り物だし、修行ですよね。本当に修行の日々でした。昔は子どものために、具なしカレーを作ったことが何度もあります。子どもがいるから心残りはないって言えばうそになるけれども、自分の人生としてはいろいろ完結したかな。やれること、やりたいことは全部やって生きて来られたのかなって気がします。

少し肩の力を抜いて、自分らしくいられる時間を大事にして、VARYの皆さんにも頑張ってほしいなと思います。全然、この世の終わりなんかじゃない。自分がいっぱいいっぱいの時は、自分だけが大変みたいな気持ちになるけれど、実はみんな一緒だったりするんですよね。先日、次男が幼稚園のころのママ友たちが病院に来てくれて、近況報告をしながら改めてそんなことを感じました。お子さんたちに特性があり、当時はお互いに勇気づけられた関係でした。

良さそうなご家庭だなとか、恵まれているなという気持ちになるかもしれないけれど、実は見えていない部分ってある。ママ友の一人は、特性のある次男のために環境を変えたことが、結果的にほかの家族の成長にもつながって、長男から「あの時はありがとう」と言ってもらえたそうです。時間が経ってから、デメリットだと思っていたことが将来的にはすごく大きなメリットだったとわかることもある。思えば車いすに乗る私のおばが一番、家族をまとめ上げる存在でした。なかなかその時はいろんなことに気が付かないんですけれどね。みんなそんな日が来るのではないかと思っています。

この春、ドクターストップを振り切って訪問したアメリカで購入したというパソコンケース。Tさんのエピソードはいつも豪快です

※Tさんは7月6日に亡くなられました。お葬式には大勢の方が参列され、多くの方々に慕われていたお人柄が偲ばれました。控え室に飾られた数多くの写真の中には、佑美先生のご一家とTさんご一家が一緒に写った記念写真もありました。心よりご冥福をお祈りいたします。

文:井上仁周



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